御伽草子で浦島太郎の本文の途中の(翁申すやう・・・)から最後の(めでたかりけるためしなり。)までの現代語訳がわかる方大至急教えて下さい。お願いします。
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さて、浦嶋太郎は、ふるさとへ帰り、見てみますと、人の往来は絶え果てて、虎の臥す野辺となってしまっていました。浦嶋はこの様子を見て、これはいかなることであろうと思い、ふとかたわらを見ますと、雑木で葺いた粗末な小家があったので、立ち寄って、
「ごめんください」
と言ったところ、家の中から八十ぐらいの翁が出てきて、
「どなたでございますか」
と申すので、浦嶋が申したことには、
「この所にいた浦嶋のゆくえはご存じありませんか」
と言ったところ、翁が申したことには、
「あなたはいかなる人でございますゆえ、浦嶋のゆくえをお尋ねになるのでしょう、不思議でございますよ。その浦嶋とかいう人がいたのは、もう七百年も以前のことと申し伝えております」
と申したので、太郎は大いに驚いて、これはいかなることかと思って、これまでのいきさつをありのままに語りましたところ、翁も不思議の思いをして涙を流し申したことには、
「あそこに見えている古い塚、古い石塔こそ、その人の墓所だと申し伝えております」
と言って、指をさして教えてくれました。
太郎は泣く泣く草も深く露もいっぱいに降りた野辺を分け、古い塚にお参りして、涙を流し、このように歌を詠みました。
かりそめに出でにし跡を来て見れば虎ふす野辺となるぞ悲しき
(ほんの一時と思い出てしまったその跡に戻ってきてみると、虎の住むような野辺となっているのが悲しいことだ)
さて、浦嶋太郎は、一本の松の木陰に立ち寄り、呆然としてそこに座っていました。太郎が思うことには、亀が与えてくれた形見の箱は、決してお開けになるなと言われたけれど、今は持っていても何になろう、開けてみたいと思って、見ることになったのはまことに残念なことでありました。
この箱を開けてみますと、中から紫の煙が三すじ立ちのぼりました。これを見ると、二十四五の年齢もたちまちに変わり果ててしまったのでした。そうして、浦嶋は鶴になって、虚空に飛び上がりました。
そもそも、この浦嶋の年齢を、亀の計らいとして箱の中にたたみ入れてあったのでした。それでこそ、浦嶋は七百年の年齢を保っていたのです。開けて見るなと言われていたのを開けてしまったことこそ、どうしようもないことでした。
君にあふ夜は浦嶋玉手箱あけてくやしきわが涙かな
(あなたに逢う夜は、浦嶋の玉手箱を開けてくやしい思いをしたように、夜が明けるとくやしく思われ、私は涙がこぼれることだ)
と、歌にも詠まれております。
命あるもの、どれもこれも情けを知らないということはありません。ましてや人間の身として、諺にあるように、恩を受けて恩を知らないのは、木や石に例えられています。情愛の深い夫婦は、現世と来世二世の契りと申しますが、まことにめったにないことでございますよ。
浦嶋は鶴になって、蓬莱の山で遊んでおります。亀はその甲に「三せきのいわゐ」(未詳)をそなえ、万年を経たということであります。
そういうわけで、、おめでたいことのたとえとしても鶴亀のことを申すのでございます。
とにかく人には情けをもって接しなさい、情けのある人は行く末めでたいことになると申し伝えています。
その後、浦嶋太郎は、丹後の国に浦嶋の明神としてあらわれ、生を受けたすべてのものの迷いを救い悟りにお導きになりました。亀もまた同じ所に神となってあらわれ、夫婦の明神とおなりなさいました。
めでたい先例でありました。
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この部分で足りていますか?
数年前にぼくが全訳したものの最終部分です。
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