2012年5月6日日曜日

以下は豊臣に島津義久が降伏した後、人質の娘を返してほしい旨を細川幽斎に頼んだ...

以下は豊臣に島津義久が降伏した後、人質の娘を返してほしい旨を細川幽斎に頼んだ折に贈答された和歌、そしてそれに対する幽斎からの返歌です。意訳して頂けると助かります。

二世とは契らぬ物を親と子の別れむ袖の哀とをしれ(義久)



なれなれし身をばはなたじ玉手箱ふた世とかけぬ中には有とも(幽斎)







義久の歌

親子の仲は夫婦のように二世の契りではなく、生きている間だけの仲ですから、戦に敗れ、明日の命も知れない身の私や娘は、どちらかが死んだら、もう親子の仲も絶え、永遠の別れになってしまうのかと思うと、涙で袖が濡れるばかりです。この気持ちをお察しください。

幽斎の歌

二世を契った仲ではないといっても、玉手箱の身と蓋を放つように、慣れ親しんだお二人の仲を引き離すような真似はいたしません。

「なれなれし」は、義久の歌に「袖」とあることから着物にちなんでの縁語です。

「玉手箱」は、箱ということで「み(身)」「ふた(蓋)」を導くため枕詞的に使われています。

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