2012年4月30日月曜日

「徳川家光は浅井長政の孫」と言いきっていいでしょうか。

「徳川家光は浅井長政の孫」と言いきっていいでしょうか。







紅葉山文庫にあった「松のさかえ」という史料のうち、「秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局 三世将軍家光公 左大臣」や、日光輪王寺所蔵で家光が終生所持していたお守りに入っていたといわれる、「二世権現 二世将軍」の紙切れを根拠に、春日局の子供説や家康実父説などの異説が唱えられていますが、根拠は乏しいと考えられます。ただ、お守りの中には「真実家康様 三世御因縁 三世の契り」と書いた紙も入っており、家光が家康の子であると認識していた可能性は低いと思います。



従って、浅井長政の三女・小督(お江与の方)が母で、父が徳川秀忠であり、浅井長政の孫と断定してよいでしょう。



なお、余談ですが、徳川秀忠の血液型は0型、徳川家光の三男・徳川綱重の血液型も0型、さらに嫡子で六代将軍・徳川家宣の血液型も0型と判明しています。徳川家康の血液型は不明ですが、三男の秀忠が0型ですから、少なくともAB型ではないと思われます。母・お江与の方と家光本人の遺髪や骨などをDNA鑑定できればはっきりと判明するのですが。








いいと思います。

一般的に浅井長政の娘・江と言われています。(両親ともに異説はありますが・・・)

さらに従兄弟に豊臣秀頼(母・淀君が江の姉)となり、織田信長(母・江はお市の娘のため姪にあたるので)の又姪(まためい)になりますね。







OKです。

徳川家光のお母さんはお江の方(崇源院)といい、浅井長政とお市の方(織田信長の妹)の三女ですので。

ちなみにお江の方の長姉が淀殿(豊臣秀頼母)です。







母親が浅井長政の娘である江与の方(崇源院)であれば孫でしょうが、もし、福(春日局)の息子であるというのであれば斉藤利光(養子かも?)の孫になりますね。野次馬根性で考えるなら後者の方がストーリー性があっておもしろいですね。遺骨からDNA鑑定するとわかるでしょう。

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